僕とふみちゃん

18年前に出会った僕たちは、再会しました。

ふみちゃん

喫茶店でコーヒーを飲みながら近況報告。



僕は家庭の事を自分から話したことはなかった。

聞かれたら答えるけど、ふみちゃんはそういうことは無かったように思う。


この日も、お互いの仕事の話をした。

彼女は病院で掃除の仕事のをしてるといっていた。僕は外資系IT関係の仕事なんだって言うと凄いとびっくりしていた。


ちょっと自慢したくて、年収や投資の話をする。


『頑張ってるんですね。体は大丈夫?』




普段僕は、年収の話を自分から言うことは無い。


外資系ITっていうと、「稼いでるんでしょ、おごってよ」って、冗談っぽくだが、言われる事が多いし、奢るのはいいけど「稼いでるんだから」って言われるのが嫌だった。

只、ごちそうさまって言ってもらえたらそれでいいのに。




なんか、ふみちゃんに話したことが恥ずかしくなった。でも、こういうふうに言われたことは嬉しかった。





『井原さん、お子さんは?』


「ん?いないよ~」


何でとか、そういうことは聞かない。

「貧乏学生だったから、子どもは作らないって言ってて、そのまんまかな~」


聞かれてもないのに、答えてた。


『いらっしゃらないと、それはそれで楽しいこともありそう。二人でおでかけしたり。』


「あ~。よく飲みに行ったりするかな。」


酒豪同士で、飲み友達だからな。

夫婦では…無い。


『へ~(^-^)仲良しさん、いいなぁ』




ふみちゃんのお子さんの話になる。


このとき、下の子は年長さんになっていた。

僕の甥姪と歳が同じくらいで、そんな話で弾む。

結局僕の親戚の話をしてたと思う。

終始眼をキラキラさせながら、相槌をうってくれるふみちゃん。




ひとしきり話して、僕は、切り出した。



「どうしたの?何かしんどいことあった?」




『どうしてですか?』




「うーん。なんかしんどそうな気がして。」






沈黙………


目が、潤んでるように見える。

え?!僕まずいこと言ったか?



すると、ふみちゃんが話してくれた。



『主人がガンになったんです』







ふみちゃんの話はこうだった。


下のお子さんが生まれてすぐ、旦那さんが体調不良に悩まされるようになったこと。


原因不明だったけどお子さんが1歳の時、難治性のガンとわかって、最初は余命数ヶ月と言われたこと。


骨髄移植して延命したが、後遺症がひどくて、辛そうなこと。


お子さんをひとりで育てていく事になるだろう不安。


自分が何も出来ないのが辛いこと。



そして、以前に書いた、結婚してからの諸々を、このとき初めてきいた。



話終わると笑顔で


『ありがとうございます、こんな話聞いてくれて。凄く楽になりました!』


ふみちゃんの前向きさに、驚く。


『主人は病気のせいか、前向きになるのは難しいようなんです。色々体験記とかあって、前向きな病気の人がたくさんいらっしゃるような印象を受けますけど、主人のような気持ちの人も多いんじゃないかなって。』



『病院の送り迎え出来るように、10年以上前に免許とって以来ペーパーやったのに、運転出来るようになったんですよ‼凄いでしょ?』


入退院と通院を繰り返してるらしい。



ふみちゃんの存在が凄いよ。


もっと、自分の思うように、楽しく生きられないの?



僕には、どうにもできなかった。



ひとしきり話して、お迎えの時間が迫る。



帰りのレジで支払いをしようと財布を出す彼女。

「これくらいいいよ~。結構かせいでるし(笑)」


『ダメです!じゃあ後で払いますね』と耳打ちしてくる。


仕方ないから領収書をきってもらう。


「経費で落とすから、いいでしょ?(嘘だけど)」


ふみちゃんに使う気は、面倒じゃなかった。

むしろ、嬉しかった。



またねと言って、てを振って別れる。


何度も振り返るふみちゃんが、地下に消えていくまで見送った。

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